宝塚歌劇と東京公演
宝塚歌劇は、鉄道の旅客誘致を目的として終点駅の宝塚駅(兵庫県)に作られた「宝塚新温泉」の集客のために、1913年に「宝塚唱歌隊(現、宝塚音楽学校)」として結成され、1年後の1914年4月1日、12歳から17歳までの少女17名による「宝塚少女歌劇」の初公演が行われました。
それから20年後、「東京宝塚劇場」が開場しましたが、実は東京での初めての公演は、初演から僅か4年後の1918年に、帝国劇場で行われています。その後も年に数回、市村座、邦楽座、歌舞伎座、新橋演舞場などで公演を行いましたが、本拠地・宝塚大劇場と比べると席数や公演回数に限りがあった事や、劇場使用料の関係でチケット代が高くなってしまう事などから、「質のいい舞台を、多くの大衆に安価で提供したい」という、宝塚歌劇の生みの親・小林一三の思いはなかなか実現しませんでした。
「東京で自前の劇場を持つ」という思いが実現したのは、東京で公演を始めてから16年後の事で、小林が当時役員を兼務し経営再建に携わっていた、「東京電燈株式会社」から買い上げた有楽町の土地に東京宝塚劇場を建設、1934年1月1日にこけら落し公演を行いました。
その前年(1933年)には東京宝塚劇場の開場に備えて、「花組」「月組」「雪組」に続く4組目となる「星組」が誕生しています。
1997年には、劇場の建て替え期間中も宝塚歌劇をご観劇いただけるように、有楽町駅前の東京都旧丸の内庁舎跡地 (現、有楽町インフォス)に仮設劇場「TAKARAZUKA1000days劇場」を建設、東京宝塚劇場建て替え中の1998年5月から翌年12月までの約1,000日間公演を行いました。そして、これまで東京では1年の内6~7か月間しか公演を行っておりませんでしたが、この時より念願の通年公演を開始。それに伴って、1998年1月に、5組目となる「宙組」が誕生しました。
このように、東京での公演の拡大(劇場の建設、リニューアル、通年公演化)をきっかけに、3組から4組、4組から5組へと、宝塚歌劇も大きく成長してきたのでした。