観世大夫と銀座

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 観世宗家と銀座のご縁は古く、寛永十年(一六三三)十世大夫・重成の時代に遡ります。
 観世文庫所蔵の『由緒書』によりますと、享和二年(一八〇二)の観世大夫・清興の下書きに、
「同十酉年、月日不知、於江府京橋南弐丁目西江入横丁町屋敷拝領仕」
との記述があり、同十年とは寛永十年のことで、三代将軍家光公より、この年にお屋敷を拝領したことがうかがえます。
 京橋南弐丁目は、弓町と呼ばれたあたりで、かつて弓矢職人が居宅を賜った所といわれています。これが現在の銀座一〜二丁目、ガス灯通りと呼ばれている界隈になります。
 二十四世左近の随想によると、拝領した土地は五百弐拾四坪あり、かつて門前の通りは、観世新道と呼ばれていました。いまは往時の面影にふれることはできませんが、屋敷を中心に、座に属する能役者の居宅が軒をつらねていたそうです。観世屋敷の舞台でも、能の興行が行われたといわれています。
 さらに銀座界隈には金春、宝生、金剛など、各座の大夫のお屋敷がございました。幕府楽頭職の地位にあった観世大夫は、ここから江戸城に出仕をしていたのです。
 本年四月二十五日に、その歴史を彷彿とさせる「古式謡初式」が、能楽堂開場一周年記念事業として二十六世観世宗家により、GINZA SIXの観世能楽堂で再現されました。
 古式謡初式は正月の幕府公式行事として、家康公時代から行われていました。正月三日酉刻、江戸城本丸表大広間で将軍、御三家、諸大名列座のもと、御奏者番の「うたいませ」の命で、観世大夫の「四海波」にはじまり、続いて「老松」を観世大夫、「東北」を宝生、金春、金剛の各大夫が輪番にて、「高砂」を喜多大夫が謡い、その後三大夫立合いにて「弓矢立合」を舞うという、厳粛な儀式でございました。
 このたびは、観世、宝生、金剛の三宗家が出演し、御奏者番を日本芸術文化振興会前理事長の茂木七左衛門氏が勤められました。
 当日の第二部として、本年が三世音阿弥の生誕六百二十年にあたることから、「武家儀式と能」をテーマに、「稀代上手 無双当道」と称えられた名人、音阿弥の功績をたどるシンポジウムを開催いたしました。
 大政奉還で、幕府に拝領地を御返しするまで、観世屋敷は銀座にあり、武家式楽の本流としての役割を果たしてきたのです。田中敏之(観世会 参与)


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