明治の名士らの近代化の夢を実現した日本初の洋式劇場・帝国劇場
皇居前という立地、帝国劇場という重々しい名前から国立の施設のような印象を受けかもしれません。現在は東宝株式会社の直営劇場になっていますが、以前は株式会社帝国劇場が経営に当たっていました。日露戦争後、産業や軍事面では欧米諸国に一目置かれるようになった日本でしたが演劇劇場などの文化施設については立ち遅れていました。国賓を演劇で遇するにたる近代的な劇場の必要性を感じた明治の名士たちは1907(明治40)年2月、帝国劇場株式会社設立しました。創立首唱者は伊藤博文、西園寺公望、林董といった政官界の大物でしたが、経営陣は取締役に渋沢栄一、西野恵之助、大倉喜八郎、福沢桃介、田中典徳、益田太郎、日比翁助、手塚猛昌、監査役に浅野総一郎、村井吉兵衛という財界の名士たちで、支配人には山本久三郎が就任しました。一方で江戸時代から芝居の世界を牛耳ってきた興行師たちは排除されました。横河民輔設計によるルネッサンス様式、1700席の白亜の大劇場は1911(明治44)年3月1日に開場しました。六代目尾上梅幸、八代目市川高麗蔵、河合武雄、伊井蓉峰といった歌舞伎や新派の役者に加え帝国劇場附属技芸学校を卒業した森律子、村田喜久子などの女優が舞台に立っています。日本演劇史の中で本格的な女優を養成したのは帝国劇場が最初です。さらに席番入りのチケットの前売り、客席案内係の配置、客席内の飲食・喫煙の禁止など従前の興行界には無かった制度は日本の演劇劇場のスタイルに多大な影響を与えました。
その後、1923(大正12)年の関東大震災で建物内部を焼失、経営不振による松竹洋画封切映画館への転身などを経て帝国劇場株式会社は1937(昭和12)年、株式会社東京宝塚劇場(東宝株式会社の前身)が吸収合併しました。旧帝国劇場は老朽化により1964(昭和39)年に閉館し、1966(昭和41)年9月に新劇場として再開場し現在に至っています。
(玉木淳一 東宝株式会社総務部シニアマネージャー)