博品館劇場~その開場から現在に至るまで (前編)
博品館劇場が開場した昭和50年代、日比谷から木挽町の銀座界隈には既に劇場街が形成されていました。そのほとんどは、客席数1,000以上の大劇場、言ってみれば、日本のブロードウェイといった様子でした。
その銀座の中心、銀座通りに現れたのが、400席弱のコンパクトなミュージカル劇場『博品館劇場』。オフブロードウェイを意識していたのは、言うまでもありません。
昭和53年10月、真帆志ぶきオン・ステージ「アイ・アム・ミュージカル」で杮落とし。その後、開場記念公演として白井鐵造演出によるフランツ・レハールのオペレッタ「ほほえみの国」、真帆志ぶき・岡田真澄主演によるミュージカル「シーソー」が続きました。
また翌年から3年に亘って毎年、「ザ・アメリカン・ダンス・マシーン」を招聘し、日本のシアター・ダンスシーンに衝撃を与えました。
さらに昭和60年、当時日本では知る人ぞ知るブロードウェイの大スター チタ・リヴェラを迎えてお贈りしたのが「チタ・リヴェラ ショー」。博品館劇場の名を大いに高めた公演となりました
その一方で、「上海バンスキング」をはじめとするオン・シアター自由劇場のレパートリーや、ミュージカル劇場の名にふさわしく、「シェルブールの雨傘」「リトルショップ・オブ・ホラーズ」といったミュージカルも再演を重ねました。
また、ミュージカルだけではなく、数々の良質のストレートプレイも上演してきました。その一例が、昭和62年、劇団NLTに劇団民芸の看板女優 北林谷栄を迎え、賀原夏子との共演が実現した「毒薬と老嬢」です。この作品は、劇団NLTにとってのみならず博品館劇場にとっても大事なレパートリーとなり、今に至るまで繰り返し上演されています。
(後編へつづく)
伊藤義文(株式会社博品館代表取締役会長)