コラムに見る多彩な芸術集積・不思議な求心力
コラムは2018年4月20日に「日比谷をエンターテイメントの街にした男 小林一三」で始まった。新たに開業した東京ミッドタウン日比谷がこの街の歴史を背景とした初の「日比谷フェスティバル」の開催前である。
明治日本の近代化を牽引する中心地である日比谷に象徴的な「鹿鳴館」、何故か「帝国劇場」の名を冠した“民間”の劇場が1911年に開場され、客席案内係の配置など新たな劇場運営、日本で最初に本格的な女優養成を行うなど演劇興行界に多大な影響を与えた。日本独自のレビューを創り出した「東京宝塚劇場」、「芸術座」を革新した「シアタークリエ」、日本のオペラ界に活力を与えた「日生劇場」と個性的な劇場が生まれ歴史を重ねてきている。この地、日本のミュージカルの歴史に欠くことが出来ない「菊田一夫」氏の名前は忘れられない。それだけではない、この街は映画のメッカでもあった。
この近代化一方、銀座は江戸・東京の伝統芸能のルーツが存在している。江戸幕府からの拝領屋敷を銀座に構えていた観世家は2017年、この銀座の地、「GINZA SIX」に戻り「観世能楽堂」を開場している。
1600年代後半、「木挽町」と呼ばれていた今の歌舞伎座辺りには劇場街があり、幕末に幕府命で猿若町に移転させられた。明治になって森田座を改称した守田座が猿若町から新富町に移転、地名を取って新富座と改称し、歴史は歌舞伎座に引きつがれる。
料亭「金田中」など花街は新橋演舞場を建設し、毎年「東をどり」を公演している。歌舞伎、花街踊り、日本舞踊は芸術的に深いつながりがあり、この地の集積のなかから発展している。
1924年、ドイツで演劇修行をした演出家、26歳の青年だった土方与志伯爵が劇場建築費を全額提供し造ったのが「築地小劇場」。日本現代演劇のルーツとも言われる劇場である。
銀座4丁目、三越の裏にクラシック音楽専用ホール「王子ホール」、晴海通りを渡り新橋に向かうと、左に「観世能楽堂」、右に「博品館劇場」と続く。さらに銀座の街には200を超える、画廊、ギャラリ-が集結している。
この街、その多様性、歴史の厚み、商業、ビジネスとの複合、日本いや世界のアート&ライブを考える上で見逃せない地である。
日比谷、銀座の地には何か不思議な求心力がある。
東京アート&ライブシティ構想実行委員会