日本映画の歴史の投錨地 ―京橋と映画アーカイブ―

2018/11/05
映画

日本映画の歴史の投錨地 ―京橋と映画アーカイブ―のイメージ画像
日活直営 第一福宝館(提供:国立映画アーカイブ)

 東京駅から歩いて10分ほどの京橋に、日本で唯一の国立映画専門機関「国立映画アーカイブ」が、第6番目の国立美術館として2018年4月に誕生しました。
 実は国立映画アーカイブの活動は、この京橋3丁目の地で、60年以上続いているのです。それは1952年に開設された国立近代美術館のフィルム・ライブラリー事業に始まり、1970年からは、東京国立近代美術館フィルムセンターとして映画の保存・研究・公開活動をおこなってきました。
 驚くことに、この京橋3丁目と映画との関係は、さらに深く、長い歴史を持っているのです。それは映画が日本に伝来し、映画館も登場しはじめた明治の末期に遡ります。1910年、江戸時代から具足町(京橋3丁目)と名付けられた職人の町に、映画館経営を手広くはじめた福宝堂という映画会社が、第一福宝館という映画館を建てました。2年後に福宝堂は、他の3社と合併して、日本で初めて製作、配給、興行の全部門をそなえた映画会社の日活となったのです。日活直営となった第一福宝館は、関東大震災後に京橋日活館と改称し、帝都復興でモダン都市へと大きくこの界隈が変貌していく中で、一流の常設館として賑わいました。京橋日活館は1932年に日活本社ビルとなり、その本社は1952年に日比谷へと移転しますが、旧本社の土地建物を文部省が購入し、国立近代美術館がスタートします。フィルム・ライブラリー事業では、旧本社の試写室も活用されました。



京橋日活館(提供:国立映画アーカイブ)

 京橋交差点の周囲には、日本映画の黄金期にあたる1950年代に、京都と東京で映画製作をしていた大映と東映も本社を構えました。大映は1949年から倒産する1971年まで、東映は1952年から西銀座に移転する1960年まで、この間、多くの映画人が京橋と京都を往来しました。京都から完成フィルムを本社の社長試写に運びこみ、試写後にその場で編集をしなおした苦労談など多数のエピソードがあります。
 日本映画の歴史とともに歩みを重ねた京橋の地で、映画と映画文化をご堪能下さい。


冨田美香(国立映画アーカイブ主任研究員 広報・発信室長)